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column
2023年07月12日
合同会社エムアイティエス代表 水谷哲也
アップル社の時価総額が3兆ドル(約430兆円)を超えたニュースが世界を駆け巡りました。アップル社は世界で初めて3兆ドルを超えた企業になりましたが、一時期はいつ身売りするのかと噂されるほど業績が悪い時がありました。
1976年4月、スティーブ・ジョブズは愛車のフォルクスワーゲンを売り、もう一人の創業者であるスティーブ・ウォズニアックは手持ちのプログラム電卓を売って1300ドルほどの資金を作り、アップル社をスタートします。
基盤で作ったコンピュータではなく、今のパソコンの原型となる、そのまま使えるアップル1を発売します。翌年、アップル2を発売したところ200万台を超える大ヒットになり、ものすごい額の投資を受けてアップル社の快進撃が始まります。当時は、汎用コンピュータの時代で大企業や大学のセンターに設置されたコンピュータを使うために、朝、プログラムをパンチカードに打ち込んでコンピュータに入力し、結果が出てくるのは夕方といった時代です。そこにアップル社が一人一台が使えるパーソナル・コンピュータを実現させます。
アップルの快進撃が続きますが、巨人IBMが捨て身の戦略でパソコン市場に乗り出してきます。今までの自前主義をかなぐり捨てて、マイクロソフトという小さなベンチャー企業と組みIBM-PCを発売。またたくまに市場を拡げていきます。
業績が低迷しだしたアップル社では取締役会が25歳前後のジョブズではなく、きちんと経営できる人物を招こうと画策。ペプシコ社の副社長ジョン・スカーリーを、三顧の礼でスカウトします。この時にジョブズがくどいた言葉が「このまま一生、砂糖水を売りつづけるのか、それとも世界を変えるチャンスをつかみたいか。」でした。
この少し前に創業者の一人だったスティーブ・ウォズニアックは愛着があったアップル2がマックに比べ、社内でないがしろにされていたこともあり、アップル社を去っていました。
スティーブ・ジョブズとジョン・スカーリーは二人三脚でやっていましたが、やがて自ら採用したジョン・スカーリーによって1985年に解雇されてしまいます。
ウィンドウズ95が登場したことで、ますますアップルの先進性が失われていきます。この後、アップル社では社長がジョン・スカーリーからマイケル・スピンドラーに交代。いろいろな部署が勝手に動いて、組織の統率が取れなくなっていきました。アップル社は「落ちたリンゴ」と呼ばれ、いつまで会社がもつか、いつ身売りするのかと噂されていました。ギル・アメリオが社長に就任し、無秩序だったアップルの断捨離を行い、なんとか立て直します。後にアメリオは「アップル薄氷の500日」という本を出しています。
にっちもさっちもいかなくなったアップル社は追い出したスティーブ・ジョブズを1996年に招きます。ジョブズは基本給与として年1ドルしか受け取っておらず、「世界でもっとも給与の安い最高経営責任者」と呼ばれました。
1998年に、iMacを市場に投入。半透明のマックという高いデザイン性はパソコン市場に衝撃を与えただけでなく、いろいろな日用品にも半透明デザインが採用されました。また赤や青などカラフルなiMacがパソコン市場に並び、オタクかおじさんしかいなかったパソコン売場にインテリアとしてパソコンを求める若い女性が増えます。
その後、iPadやiPhoneなど革新的な商品を次々と発表、アップルの快進撃となります。ただジョブズは病気となりティム・クックに後任を頼み、アップル社を去ります。2011年に亡くなった時、当時のオバマ大統領が「彼が亡くなったことを世界中の人達が、実際に彼が発明した物によって知った」と弔意を述べました。
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