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キーボードは数字とA~Fだけだった

column

2023年04月19日

合同会社エムアイティエス代表 水谷哲也

電車で若者がすさまじい勢いで指を駆使し、スマホ入力している姿を目撃します。スマホを検索と電話ぐらいしか使っていない身としては魔法をみているようで驚きますが、コンピュータ黎明期は数字とA~Fまでの文字だけで入力していました。


スマホで入力する

スマホ画面に文字入力する方法がいろいろと考えだされています。代表的なのがフリック入力です。各行の「あ段」(あかさたなはまやらわ)の周囲に、十字型に、い段・う段・え段・お段を配置しています。「あ段」のキーを押しつつ目的の文字の方向に指をスライドさせることで文字を入力できます。フリック(flick)とは、素早く動かす、弾くという意味があります。フリック入力以外にトグル入力やジェスチャー入力があり、スマホ・ネイティブ世代は華麗な指タッチで入力しています。

パソコン世代にはこんな曲芸のような入力ができず、使い慣れたQWERTYキーボードをスマホ画面に表示し、ローマ字入力しています。ところが画面そのものが小さいため、指が別の文字にあたってしまい、修正しながら入力せざるをえません。また歳とともに指が乾燥してタッチパネルが反応しにくくなり入力するのに一苦労。こうなると音声入力に頼らざるをえませんが、今度は活舌が悪いと反応しません。結局、パソコンで入力するのが一番、早くなります。


QWERTY配列はなぜ生まれた

パソコンではキーボードの上から2段目の左6文字の並び方に代表されるQWERTY配列がデファクトスタンダードとなっています。よく考えてみると奇妙な配列で、俗説ではタイプライターの技術的な限界から、早く打つとアームの衝突が起きるため、打鍵速度を落とすために、わざと打ちにくい配列にしたと言われています。

最初はABC順のキー配列でしたが、たくさんの人がそれぞれの必要性で変更し、さらに特許などの問題もからんで、現在のキー配列になったのが真相のようです。入力しにくいQWERTY配列でしたが、パソコンを習い始めるとブラインドタッチできるようタイピング練習するのが定番でしたので、入力スピードに問題はありませんでした。日本でQWERTY配列のキーボードが登場したのは1979年頃から。この年にNECからPC8001が発売され、QWERTYキーボードがついていました。PC8001が発売された9月28日は「パソコンの日」となっています。

 

そもそもは16進数のキーボード

PC8001が発売以前はパソコンと言わずにマイコンと呼ばれていた時代です。1976年に日本電気(NEC)からTK80と言うトレーニングキットが発売されました。今のパソコンのように筺体に入っておらず、基盤(ボード)がむき出しのワンボードマイコンです。組み込み用技術者を養成するのに作られたTK80ですがコンピュータマニアに爆発的に売れました。発売当時の価格は88,500円。大卒の初任給が94,300円でしたので、ほぼ給与1ケ月分の価格でした。

TK80にキーボードはついていましたが、0~9までの数字とA~Fのアルファベットの16個のボタンしかありません。つまり入力は16進数(0~9、A~F)で行いました。当時のマイコン雑誌には「もぐらたたき」などのプログラムリストが掲載されていましたが、載っているのは16進数のプログラムです。これを16進数のキーボードで入力します。

「40 AF DE 45 21 4E 83 BB  23 DC B3 49...」

こんな数字と文字の羅列が雑誌に何ページも続いていました。これを根気よく入力していきます。ようやく入れ終わって動いた時は感激したものです。動作は8桁のLEDで確認しました。TK80は家庭用テレビにつなぐことができましたのでテレビがモニター代わりです。TK80が大成功をしましたので、各社から同様のワンボードマイコンが発売されることになります。

やがて秋葉原にビットイン(Bit-INN)という日本電気のショールームができ、マニアの情報交換場所となります。ビットインの跡地には、「パーソナルコンピュータ発祥の地」のプレートが飾られていましたが、今はなくなっています。

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