インターネット・エクスプローラーが27年の歴史に幕をおろしました。インターネット・エクスプローラーが登場した1995年は阪神淡路大震災があった年。年末にウィンドウズ95が発売され、このウィンドウズ95に同梱されていました。
阪神淡路大震災の年、インターネット・エクスプローラーが登場
1995年は大変な年でした。1月17日に阪神淡路大震災が発生。固定電話がつながらず、情報が錯そうする中、神戸市職員が、被害の様子をデジカメで撮り、インターネットで世界に送り続けます。これがテレビで報道されたことから、大災害時の通信手段の一つとしてインターネットが役立つことが認識されました。
同じ1995年の暮、勤労感謝の日にウィンドウズ95が発売されます。秋葉原、日本橋、大須商店街など各地の電気屋街には深夜に向けて続々と人が集まり、店舗前に長い行列ができます。午前0時に向けてカウントダウンが行われ、大きな拍手とともにウィンドウズ95が販売されます。この深夜のお祭り騒ぎが翌日のテレビや新聞で大きく採りあげられます。
テレビを見ていた人への宣伝効果はバッチリで、ウィンドウズ95をきっかけに、はじめてパソコンを買う人が続出。今はサブカルチャーの街となった秋葉原ですが、パソコンや周辺機器を求める人で賑わう電気屋街として発展していきます。
家庭からインターネット接続する時代に
ウィンドウズ95には「Microsoft Plus! for Windows 95」が同梱されていて、インターネット・エクスプローラーが入っていました。ウィンドウズ95を買えば、話題のインターネットが簡単に始められるというイメージ戦略もあって、人気に拍車をかけます。簡単といってもソフトをインストールしてプロバイダー情報などを設定し、またモデムに接続するために暗号のようなコマンドなどを覚える必要がありました。
ウィンドウズ95がきっかけで個人や企業へ急速にパソコンが普及していきます。ウィンドウズ98からインターネット・エクスプローラーをセットで提供し始めますので、わざわざインストールする必要がなくなりました。
インターネット・エクスプローラーは機能拡張だらけ
インターネット・エクスプローラーがデファクト・スタンダードとなったことで各社ともインターネット・エクスプローラーを基本としてシステム提供をはじめます。本来、W3Cという標準化を行っている団体の規格に従う必要がありますが、マイクロソフトは勝手に機能拡張してしまいました。インターネット・エクスプローラーで、できることが増えたため、この機能拡張を使ったサイトがいろいろと作られます。しかし機能が追加されるたびに動作が重くなりグーグルクロムなど他のブラウザーに移るユーザが増えます。
「まずい!」と思ったマイクロソフトはW3Cの標準に準拠したエッジというブラウザーを新たにリリースして移行を呼びかけましたが、エッジにはインターネット・エクスプローラーにあった便利な機能がありませんので、サイトを作りなおさなければなりません。
つまり金がかかります。サポート終了の話は以前から出ていたので、動き出しつつあったところを新型コロナが襲いました。業績ダウンによってサイト改修にかけるお金がなくなってしまいました。
インターネット・エクスプローラーを使わざるをえない
サポートが終了してもインターネット・エクスプローラーを使わざるをえません。例えば信用金庫で運用している信金ネットバンキングは、インターネット・エクスプローラーが主でしたがサポートが切れたため、エッジのインターネット・エクスプローラーモードで使うようになっています。
このように、まだまだ現場ではIEのサポート終了に伴う混乱がしばらくは続きそうです。