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「半沢直樹」スパイラル社のモデル?

column

2020年11月18日

合同会社エムアイティエス代表 水谷哲也

“倍返し”のセリフで有名な半沢直樹。最終回には関西での視聴率が46.6%を突破し、テレビをつけている人の半分が見るという社会現象になりました。あっという間に視聴率歴代1位だったサッカーW杯の記録を抜いてしまいます。

日曜劇場「半沢直樹」に登場するスパイラル社

尾上松也が演じたのがスパイラルの瀬名社長。大学卒業後、小さなソフト開発会社に就職していましたが、その企業が倒産したのをきっかけに、同僚2人とスパイラルを立ち上げます。検索システム「スパイラル」の開発でIT業界を牽引する企業に成長させますが、事業拡大を訴える2人と対立し袂を分かちます。半沢直樹では電脳雑伎集団による企業買収につながっていきます。

著者である池井戸潤の年齢から考えるとスパイラル社はアスキー出版をモデルにしているように思えます。

アスキー出版の立ち上げ

パソコンが影も形もない時代、マイコンと呼ばれるキットがようやく発売され始めた1970年代に工学社が誕生します。早稲田大学の学生だった西和彦など4名が共同出資し工学社を設立、日本最古のコンピュータ雑誌「I/O」を発刊します。

ところが編集方針がゲーム中心となっていたため半年後に3人が飛び出し100万円ずつ出資してアスキー出版を1977年5月に設立します。西和彦以外のメンバーが大学の紹介で入った下宿先の大家の息子さんで当時、珍しかったIT企業でプログラマをしていた郡司明郎。もう一人が電気通信大学の学生でマイコン同好会の設立メンバーだった塚本慶一郎です。3人は全く平等で給料も全く同じ。誰も社長をやりたがらなったので西和彦のお父さんが社長に就任します。

月刊アスキーを本屋においてもらう

アスキー出版では月刊アスキーを創刊しますがコンピュータといえば大型コンピュータの時代、書店員は当然のことながら、そんなコンピュータの本が売れるとは誰も思っていません。当然、取次(本の問屋)も扱ってくれません。

実はマイコンが登場し日本中にマニアがいましたが情報はアメリカの雑誌しかありません。インターネットもなく情報に飢えていた時代でマーケットはありました。

そこで何とか本屋においてもらおうと芝居をうちます。西和彦が秋葉原などの売れそうな地域の書店を回りますが「雑誌をおいてくれませんか」と持ち込んでも、どこでも断られます。断られると、「すいません。ちょっとトイレだけ貸してくれませんか」と頼むと、大概は貸してくれます。

月刊アスキーを書店の軒先において、トイレを借りに行くと郡司明郎が客を装って店内に入り、いろいろと本を見ながら、たまたまおいてある月刊アスキーを一度行き過ぎて、「ハッ」とした顔をして戻り手に取ります。じっくりページを読み込み感心しながらレジへ向かう作戦です。

書店員はそんなすぐに買う客がいるとは思っていませんのでビックリ。西がトイレから出てくると「その雑誌、置いていって、仕入れるよ」という話になります。ただマニアが情報に飢えていたのは事実で、このトイレ作戦で客を装って店内に入る前に本当のお客さんが月刊アスキーを見つけて買っていきました。思わず、そのお客さんに向かって最敬礼したそうです。

2人と袂を分かつ

アスキー出版は雑誌だけでなくバラバラだったパソコンの統一規格を作り、半沢直樹のスパイラル社のようにIT業界を牽引する企業になっていきます。西和彦はマイクロソフトとも関りがありビルゲイツとともにMS-DOSを生み出しパソコン業界を引っ張っていきますが、やがてビルゲイツとの関係が破局します。

ビルゲイツを見返したいという気持ちもあり西は半導体などいろいろな事業に投資をしていきますが、出版を主軸とした慎重経営を郡司と塚本が主張。両者は決裂して創立メンバーの2人は退社します。塚本慶一郎と郡司明郎は共同出資しインプレスを設立します。経緯はスパイラル社によく似ています。

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