1960年代、アメリカはヒッピーの時代でした。ベトナム戦争への反戦運動ともからみ、父親世代が戦争への無条件支持をしていることに反発した若者が音楽や麻薬、非暴力によって対抗しようとしました。ヒッピーとは人間の内面や精神世界を重んじる生き方で、この頃に青春時代をおくった連中がパソコン文化を引っ張っていきます。
オイルショックの中、アルテアが登場
世界初のパーソナル・コンピューター「アルテア8080」が登場したのが1974年。日本では第一次オイルショックがあった年です。中東戦争による石油値上がりで戦後初めてのマイナス成長となり、長く続いた高度経済成長が終焉を迎えます。オイルショックでは石油と直接関係がないトイレットペーパーや洗剤がスーパーから姿を消しパニックになります。スーパーに入荷があると一人2個までと販売制限があったため、子供まで総動員して長蛇の列に並ぶ光景が見かけられました。
セブンイレブン1号店が豊洲にオープンしたのも1974年です。若者の間ではフォークが流行り、反戦歌も多くフォーク・クルセダーズが「イムジン河」を発表。岡林信康が「山谷ブルース」を歌い、この流れが井上陽水の「傘がない」やかぐや姫の「神田川」へとつながっていきます。
アメリカ、日本ともにアルテア8080が登場したのはそんな時代でした。当時のコンピュータは馬鹿でかく研究所や企業が占有していた時代です。そこに小さく個人で扱えるパソコンが登場し、熱狂的に迎えられパソコン文化が開くことになります。牽引したのはヒッピー文化にどっぷりつかった若者たちです。IBMの大型コンピュータに代表される権威やエスタブリッシュメントに対抗するパソコンは熱狂的に受け入れられました。当時、IBMの社員は青系のダークスーツをよく来ており、ビッグブルーと呼ばれていました。対抗する若者はTシャツとジーンズです。
創業者はどっぷりヒッピー文化につかっていた
ロータス社を創業し表計算ソフト「ロータス123」を開発したのはミッチ・ケイパーという人物で、全世界を放浪し、超越的瞑想にふけっていました。ロータスとは蓮の花のことで悟りをあらわしています。当時の若者はみな、似たようなものでスティーブ・ジョブズも大学時代は宗教や坐禅、ヒッピー文化に心酔していました。大学内を裸足で歩き、一時は風呂に入らない時期もありました。大学を辞めてからは導師を求めてインドまで行きたいと考え、旅費を稼ぐためにアタリに就職しますが大学時代と同じようにサンダルや裸足でうろつき風呂にも入っていませんでした。なんとかインドにたどりつきましたが思っていたのと違ったようで次は禅にはまります。
スティーブ・ジョブズが読んでいたのがヒッピーのバイブルと言われた「ホール・アース・カタログ(全地球カタログ)」です。1968年に、メロンパークに住むスチュアート・ブランドが創刊した手づくりの本で、火の起こし方から、コミュニケーションのあり方まで、生きるための知恵や知識が網羅されていました。必要な商品はハガキを通じて入手することもできます。当時の若者はヒッピーのような自然回帰ではなく、最新のパソコンを使ってもよいので自分たちの手の届く範囲で生きようじゃないかという思想でした。今でいう”持続可能社会”にちかい考え方で、日本でもモービルガソリンのCMが「のんびり行こうよ俺達は」でした。
ハングリーであれ、愚かであれ
「ホール・アース・カタログ」の創刊号の表紙は宇宙に浮かぶ地球の写真でした。この雑誌の裏表紙に載っていた言葉が、「ステイ ハングリー、ステイ フーリシュ」です。
スティーブ・ジョブズが2005年にスタンフォード大学の卒業式でスピーチを行います。ジョブズが自らの人生観を語ったスピーチで、「伝説のスピーチ」と呼ばれています。例えば、ジョブズは毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしていました。「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」と。「ノー」という答えが何日も続くようなら、ちょっと生き方を見直せということです。
ジョブズが卒業生に伝えたかったのは君たちの時間は限られている。他人の意見というノイズによって、あなた自身の内なる声、心、直感をかき消されないようにしなさいということです。
そしてスピーチの最後の言葉が「ステイ ハングリー、ステイ フーリシュ」でした。