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アマゾンの着実な創業プラン

column

2022年03月02日

合同会社エムアイティエス代表 水谷哲也

宇宙空間に出て短時間、無重力体験できる旅行の販売が始まっています。アマゾン創業者ジェフ・ベゾスが自身で作ったブルー・オリジン社のロケットに乗り、自ら宇宙旅行を体験しています。このジェフ・ベゾスですが、かなり周到な創業プランを若い時から考え実行していました。

ファイテルで株取引のオンライン決済について経験

ジェフ・ベゾスは1964年にニューメキシコ州のアルバカーキで生まれます。アルバカーキは世界最初のパーソナルコンピューター・アルテア8800が誕生した地です。このアルテア8800の仕事をするために1975年、マイクロソフト社がアルバカーキで創業し、大躍進が始まります。

ジェフ・ベゾスは1986年、プリンストン大学を主席で卒業します。学生時代にIBMなどでアルバイトし、プログラミング能力が高く評価されていたため名だたる企業から就職のオファーがありましたが、選んだのは金融決済システムのベンチャー企業ファイテルです。ファイテルを創業したのがコロンビア大学のグラシエラ・チチルニスキー教授で温暖化ガスの排出削減効果を取引できる形にしたカーボンクレジットの提唱者として有名です。

ファイテルではホストコンピュータを介して証券取引データを投資家、証券会社、銀行と結ぶシステムを販売していました。株の国際取引が始まっていましたが、当時はインターネットがない時代。売買の連絡は電話、テレックス、ファックスが使われていました。電話では証拠が残らず、お金を払ったのに株が届かないなどのトラブルがよくあり、“言った、言わない”の世界になっていました。

ファイテルは当時、スーパーコンピュータなどを次々に導入していたリクルート社に売り込みを行います。リクルート社の商談相手として交渉にやってきたのが入社してまもないジェフ・ベゾスという若者。11人いるファイテルの社員の中でもっとも若かったのですが1年もたたないうちにナンバーツーになり、23歳という若さで10数人のプログラマーを統括していました。

さらにオンライン・システムの経験を積む

ところがファイテルを2年で辞めて、次に選んだバンカース・トラストでオンライン・システムの開発に従事します。めちゃくちゃ優秀だったようで10ヶ月後には26歳の若さで副社長になります。

次にコロンビア大学のデビッド・ショー助教授が立ち上げたヘッジファンドに誘われて移籍します。このヘッジファンドでは為替の裁定取引をオンライン化していました。2年後には上級副社長になり、コンピューター・ネットワークの開発を担当しています。ジェフ・ベゾスはずっと、コンピューターを使ったビジネスでの起業を考えており、そのために様々な会社で経験と人脈を築いていました。

1994年、アマゾンがガレージからスタート

いろいろな経験からEコマースが有望と考え、あらゆるものをオンラインで売るエブリシング・ストアを構想しました。最初から、あらゆるものを売るのは無謀なのでオンラインで販売できる可能性のある製品をリストアップし、その中から書籍がもっとも成功する可能性が高いと判断し始めます。

1994年に自宅のガレージでアマゾンの前身であるカタブラ・ドットコムを創業。魔法の呪文アブラカタブラから命名しましたが、英語の死体の発音とよく似ていたので4ケ月後にはアマゾン・ドット・コムに変更します。

自宅のガレージから創業したのはアマゾンが成功した時に、「アマゾンもガレージからスタートした」と言いたいがためだったようです。こういうところはジェフ・ベゾスも少しお茶目な面もあるようです。アマゾンのロゴといえばA~ZにスマイルマークがのびていますがAからZまでアマゾンで揃うエブリシング・ストアをあらわしています。

創業プランを確実に実現し、アマゾンは今や生活になくてはならないプラットフォームを提供する会社となりました。

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